NO.86
書  名 「ガルブレイスの大恐慌」
著者/訳者 J・K・ガルブレイス/牧野昇
発行所 徳間書店
価  格 590円
 
 
 

「ガルブレイスの大恐慌」からの抜粋


 


  
(十月二十四日の木曜日)

  あの大恐慌の記録において、しかるべき位置づけを与えられている最初の日が十月二十四日の木曜日である。確かに、秩序の混乱ぶり、人々の不安感、そして全般的な動揺の度合いということからすれば、そうみなされておかしくない日であったといえるだろう。当日の株式出来高は1289万4650株で、取引が成立した価格水準は、多くの場合、持ち主にとって夢も希望も打ち砕かれるようなレベルであった。一方に売りたい人間がいれば、他方に買いたい人間が必ずいる。これこそ株式市場の七不思議の筆頭に挙げるべき謎というべきだろう。だが、十月二十四日には、七不思議といえども必ず起こるとは限らないことが証明されたのである。その日には、なかなか買い注文が入らず、多くの株が直滑降を演じてからようやく買い値がつくという有りさまであった。


(十年間にわたって不況局面がつづいた)

  1929年の大恐慌につづいて大不況が到来した。低迷の度合いは年によってまちまちであったが、いずれにしても、その後十年間にわたって不況局面がつづいたのである。1933年の時点で、わが国のGNP(米国経済の総生産高)は29年の3分の2のレベルに落ちこんでしまっていた。37年にはようやく29年の生産水準を回復したが、それも束の間ですぐにまた後退が始まり、以降、1941年までドル表示の生産額は一貫して29年を下回るレベルで推移したのであった。1930年から40年の10年間を通じて、失業者数が800万人を下回ったのは37年のみであった。1933年の時点では、1300万人近くの人々が失業していた。4人に1人が職を奪われていたわけである。38年になっても、なお5人に1人は失業者であった。


(投機狂いの発生)

  1928年から29年にかけて、なぜあのような投機狂いが発生したかはわからないというのが実態だ。金融が緩んでいたために借入れ金による証拠金取引が促進されたのだ、という解釈が定説化しているが、これは明らかにナンセンスである。これ以前にも、またその後においても、金融緩和局面は何度となくあったが、そのたびに投機が盛行したなどということはまったくない。しかも、28―29年において株式投機のベースとなった借入れ金の金利は、その前後のいずれの時期であっても法外に高いと感じられたにちがいないのである。通常の尺度でみれば、この時期の金融はむしろタイトだったといえるのである。
  金利水準や金融の状態よりも、社会の全体的なムードがどのようなものだったかということのほうがはるかに重要である。大規模の投機が発生するには、世の中が自信と楽観ムードに満ちていて、庶民はみな必ず金持ちになれるのだと誰もが確信している状態が必要だ。また、人々が他人の善意を信じきっていて、自分にとって不利になるようなことを人がするはずはないと思いこんでいることも、また重要なのである。というのは、株式投機によって庶民が金持ちになれるかどうかは、彼ら以外の人々の動き方に依存しているからである。


※ ( )内タイトルは勝手につけました。

 

 
 
 
鉄 太 郎 の ナ ル ホ ド と 納 得
 


 株式市場は、実体経済の半年先くらいを先取りしていると言われるが、株式市場の加熱が実態経済を膨張させ、株式市場の崩壊が実態市場を低迷させる原因ともなっている。日本の場合も、1988年あたりからバブルであると言われ続けてきたが、実際にバブルが崩壊したのは1990年であった。株式市場と実態経済は、お互いに密接に結びついており、経済のファンダメンタルだけを研究しても株式市場を予測することはできない。